東京地方裁判所 平成9年(特わ)4154号 判決 1998年9月21日
主文
被告会社を罰金一〇〇〇万円に、被告人A及び被告人Bをいずれも懲役一年に、被告人C及び被告人Dをいずれも懲役一〇月にそれぞれ処する。
被告人四名に対し、この裁判の確定した日からそれぞれ三年間その刑の執行を猶予する。
理由
(罪となるべき事実)
被告会社日興証券株式会社は、東京都千代田区《番地略》に本店を置き、有価証券の売買・有価証券市場における有価証券の売買の取引の取次ぎ等を目的とする証券会社、被告人Aは、平成六年二月二四日から平成八年八月二八日までの間、被告会社の株式部長として被告会社の株式等の自己売買を担当していたもの、被告人Cは、平成五年八月一八日から平成七年六月二九日までは被告会社の関連会社である日興企業株式会社の専務取締役であるとともに、その間、被告会社からの嘱託により被告会社の株主総会の運営・株主との対応等の業務に従事し、平成七年七月一日から平成九年六月三〇日までは被告会社の嘱託社員として右業務に従事していたもの、被告人Dは、平成二年五月一〇日から平成九年一〇月三日までの間、被告会社の代表取締役副社長として、被告会社の総務部等の業務全般を掌理していたもの、被告人Bは、平成六年二月二四日から平成八年二月二五日までの間は被告会社の専務取締役として、同月二六日から平成九年二月二六日までの間は被告会社の代表取締役副社長として、被告会社の商品部門等を統括していたものであるが、
第一 被告人四名は、共謀の上、法定の除外事由がないのに、被告会社の業務及び財産に関し、被告会社の一単位の株式の数(一〇〇〇株)以上の数の株主であるEの株主の権利の行使に関し、平成七年六月二九日に開催される被告会社の第五四回定時株主総会及び平成八年六月二七日に開催される被告会社の第五五回定時株主総会で、議事が円滑に終了するよう協力を得ることの謝礼の趣旨で、被告会社の顧客である右Eが株式会社小甚ビルディング及びフェニックスにじゅういち株式会社の各名義で行った有価証券の売買その他の取引等につき、当該有価証券について生じた損失の一部を補てんするため、被告会社の計算において、右Eに対し、財産上の利益を提供・供与しようと企て、横浜市鶴見区《番地略》所在の株式会社日興システムセンター内に設置された被告会社のホストコンピュータを使用するなどの方法により、別紙犯罪事実一覧表(一)記載のとおり、平成七年一月三〇日から同年一二月二八日までの間、前後一一回にわたり、同表の「自己売買をした株式」欄記載の株式売買は、いずれも、被告会社が自己の計算で行った株式の売買であったのに、右Eから委託を受けて行った売買としてこれらを右フェニックスにじゅういち株式会社名義の取引勘定に帰属させ、右Eに対し、合計一四〇九万六五六〇円相当の財産上の利益をそれぞれ提供・供与し、もって、被告会社の業務及び財産に関し、右Eに対し、右損失の一部を補てんするため、同人の株主の権利の行使に関して、被告会社の計算において、合計一四〇九万六五六〇円相当の財産上の利益を提供・供与し、
第二 被告人A及び被告人Bは、共謀の上、法定の除外事由がないのに、被告会社の業務及び財産に関し、被告会社の顧客であるFがGの名義で行った有価証券の売買につき、当該有価証券について生じた利益に追加するため、Fに対し、財産上の利益を提供しようと企て、前記株式会社日興システムセンター内に設置された被告会社のホストコンピュータを使用するなどの方法により、別紙犯罪事実一覧表(二)記載のとおり、平成七年一〇月三一日から平成八年六月一八日までの間、前後二五回にわたり、同表の「自己売買した株式」欄記載の株式売買は、いずれも被告会社が自己の計算で行ったものであったのに、Fから委託を受けて行った取引として、これらをG名義の取引勘定に帰属させ、Fに対し、合計二九一五万七〇七九円相当の財産上の利益をそれぞれ提供し、もって、被告会社の業務及び財産に関し、Fに対し、右利益に追加するため、合計二九一五万七〇七九円相当の財産上の利益を提供し
たものである。
(証拠の標目)《略》
(補足説明)
一 被告会社及び被告人四名の各弁護人は、本件各犯行の実行行為は、被告人Aがシステム場電担当者に付け替えを口頭で指示することに尽き、その指示によって実行行為は終了するので、本件において、被告人らが提供・供与した財産上の利益(以下「財産上の利益」という。)は、被告人Aの付け替え指示の時点における当該株式の評価益と解すべきである旨主張するので、この点についての判断を示す。
二 関係証拠によれば、本件における付け替え及び一任勘定取引による株式売却の手順は次のとおりであったと認められる。
1 被告人Aは、被告会社の自己取引として購入した株式のうち、相場の変動状況等から今後確実に値上がりすると判断したものにつき、システム場電担当者に口頭で付け替えの指示を発する。
2 システム場電担当者は株式部店部トレーダーに電話でその旨を連絡し、これを受けた株式部店部トレーダーは執行伝票を作成し、前場で行われた取引については後場の開始時までに、また、後場で行われた取引についてはその日のうちにそれぞれまとめて市場業務課にエアシューターを使って回付し(ただし、判示第一別紙犯罪事実一覧表(一)番号1については、前場で付け替え指示が出されているが、後場終了後に市場業務課に回付されている。)、市場業務課員は直ちに右伝票の内容をOCR機を使って被告会社のホストコンピュータに入力する。
3 また、付け替え指示後、ホストコンピュータ入力以前に、被告人Aから売却指示が出された売却事例(付け替え指示後、ホストコンピュータ入力前に売却指示がなされ、ホストコンピュータにはその双方が同時に入力されたもの)においては、当該株式の売却につき、右同様の手順を経て市場業務課に連絡が行き、被告会社のホストコンピュータに、付け替えの入力と同時に入力される。
三 そこで、以上の事実を前提に、本件各犯行における財産上の利益について検討することになるが、検討に当たっては、本件各犯行について規定した罰条の立法趣旨を踏まえ、これを没却することのないようにしなければならない。すなわち、商法四九七条一項(判示第一)は、総会屋の横行が社会的な問題となったことを受けて昭和五六年の商法改正の際に新設された一連の総会屋抑止規定のうちの一つであって、株主の権利行使に関する会社資産の費消を防止して会社運営の健全性を確保することを趣旨とするものであり、また、証券取引法五〇条の三第一項三号(判示第一及び第二)は、投資者の責任で行われるべき証券取引において、証券会社による特定投資者への損失補てんや利益追加を放置すれば、証券市場に不公平を生じさせるばかりでなく、証券会社の過当競争を招くため、これを禁じたものである。更に、証券取引法上、財産上の利益については、没収、追徴の対象となっており、同法五〇条の三第二項に該当する被供与者(本件のE及びFはいずれもこれに当たると解すべきである。)の下に不法な利益を残さないこととされている。財産上の利益を算定するに当たっては、右のような立法趣旨等を念頭に置いて実質的な観点から検討することが必要である。
四 まず、本件各犯行の実行行為について考えると、そもそも、実行行為とは、結果発生の現実的危険性を持った行為と解すべきところ、被告人Aの付け替え指示がこれに当たることは争いがない。そして、前記二の手順を見ると、被告会社では、ホストコンピュータに入力されたデータをもとに顧客勘定元帳が作成され、そのデータに基づいて代金の決済、株式の引渡等が行われるのであるから、被告人の付け替え指示をホストコンピュータに入力した時点で財産上の利益がEらに帰属することになるのであって、被告人Aの付け替え指示に基づいてホストコンピュータに入力する行為は、財産上の利益をEらに確定的に帰属させるものであり、前記の実行行為概念にまさに当てはまるものである。したがって、本件犯行の実行行為は、被告人Aによるシステム場電への付け替え指示と右指示に基づくホストコンピュータへの入力行為からなると考えるべきである。
なお、この理は、付け替え後ホストコンピュータ入力以前に株式を売却する前記の売却事例でも同様であり、付け替え及び売却の各取引がいずれもホストコンピュータに入力された時点で実行行為が終了するものと考える。もっとも、この場合は、株式売却により確定した実現益を「財産上の利益」として捉えるべきである(ただし、理論的には、売値が常に付け替えから売却までの間における株式評価額の最高値であるとは限らないので、実現益が必ずしも後述するような意味での「財産上の利益」とならない場合もあるが、その点はひとまず措く。)が、この場合の実現益の確定とは、提供ないし供与される財産上の利益が金額的に確定するということを意味するに止まる、換言すれば、本件利益供与等罪の対象(目的物)が確定することになるというだけのことである。この点について、弁護人は、付け替え後に被告人Aが一任勘定取引により当該株式を売却して確定した実現益の提供等をしたとされる事案については、右売却は被告人AがEのいわば代理人として行ったもので、商法四九七条一項にいう「会社の計算において」の要件を欠く旨主張するが、この売却行為は、右に述べたとおり、「財産上の利益」を確定するだけの意味を有するものであって、商法違反の実行行為として観念されていないので、主張自体失当である。
五 次に「財産上の利益」の算定方法について考えると、株式の評価額が証券取引市場の動向によって刻々と変化する性質を持つことを当然の前提とはしつつも、付け替え指示は、指示後にも値上がりが確実に見込まれるものについて、可能な限り多くの利益を被供与者に供与することを目的として行われるものであること、本件においては、被告人Aによる一任勘定取引が行われていることからすると、理論的には、実行の着手時点である被告人Aの付け替え指示の時から実行終了時点である被告会社のホストコンピュータ入力時までの間における当該株式の最高評価額の際に売却指示が可能なのであるから、右最高評価額と自己取引時の買値との差額をもって財産上の利益と考えるのが相当である。もっとも、これは実体法上の理論であって、これを訴訟に投影させた場合には、訴因を設定する権限を持つ検察官は、その範囲内において、立証の容易性等を勘案し、一定の基準を設けて算定した金額を財産上の利益として審判の対象にすることも、当然にその裁量権の範囲内であると考えられる。検察官は、このような裁量に基づき、本件訴因を設定したと考えられるところ、本件関係各証拠によれば、結論として、本件における財産上の利益は、付け替え事例(付け替えの指示だけが出され、その後売却指示が出されないまま、ホストコンピュータへの入力が行われたもの)においては、コンピュータ入力直前の終値と買値との差額に株式数を乗じ、取引委託手数料及び消費税を差し引いた額、売却事例においては、その売値と買値との差額に株式数を乗じ、取引委託手数料、消費税及び有価証券取引税を差し引いた額と認めるのが相当である。
弁護人は、被告人Aは付け替え指示をした時点の株価を認識しているにすぎないから、その後の相場によって上昇した評価額をもって財産上の利益を計算することは被告人Aの意思を超えてしまう旨主張するが、被告人Aは、株式取引をホストコンピュータで管理する前記の手続を十分理解した上で、付け替え行為を行っているもので、付け替え指示後に相場により株価が変動することは予め了解しており、かつ、そのような手順を踏んでもなおEらに財産上の利益を与えられることを見越して、相場の動向を見て十分な値上がりが見込める銘柄を選んで付け替えを指示していたのであるから、付け替え指示後ホストコンピュータ入力までの間の評価額の変動は、特段の事情のない限り、被告人Aの認識の範囲内のものと認めるのが相当である。
更に弁護人の主張について検討すると、例えば、付け替え指示の時期は必ずしも客観的な資料として残されないこともあり得るのであって、仮に付け替え指示の時期が不明確である場合には、財産上の利益が確定できないという場合も生じかねないことになる。また、自己取引後、付け替え指示の時期を探ることにより、ことさらに自己取引価格との差が小さいときをとらえて付け替えの指示をすることも可能となるが、そのような設例の場合には、実際は前場終了時までの値上がりを見込んでいるにもかかわらず、財産上の利益は相対的に非常に小さなものとなり、実態に合わないものとなるが、このことは利益供与等を企図した者がほしいままに財産上の利益を見掛け上小さくし得ることにつながるのであって、前記の各禁止規定の法意を没却することになりかねない(仮に、自己取引の価格を下回るときに付け替え指示をすれば、その後前場終了時(又は後場終了時)までに確実に値上がりが見込まれる場合にも、そもそも利益供与等が成立しないことになるが、実質的に見た場合に、このような結論が不当であることは多言を要しないであろう。)。弁護人の主張を採用できない所以である。
六 結論
以上の次第であって、本件における財産上の利益は、付け替え事例においては、コンピュータ入力直前の終値と買値との差額に株式数を乗じ、取引委託手数料及び消費税を差し引いた額、売却事例においては、その売値と約定単価との差額に株式数を乗じ、取引委託手数料、消費税及び有価証券取引税を差し引いた額と考えるべきである。
(法令の適用)
一 被告会社
罰条
判示第一の別紙犯罪事実一覧表(一)番号1ないし11について
行為時 いずれも平成九年法律第一一七号による改正前の証券取引法(以下、「旧証券取引法」という。)二〇七条一項二号、一九九条一号の六、五〇条の三第一項三号
裁判時 いずれも証券取引法二〇七条一項二号、一九八条の二、五〇条の三第一項三号
刑の変更 刑法六条、一〇条(いずれも軽い行為時法の刑による)
併合罪の処理 刑法四五条前段、四八条二項
二 被告人A
罰条
判示第一の別紙犯罪事実一覧表(一)番号1ないし11について
証券取引法違反の点
行為時 いずれも刑法六〇条(ただし、番号1ないし4については、平成七年法律第九一号による改正前の刑法<以下、「旧刑法」という。>六〇条)、旧証券取引法一九九条一号の六、五〇条の三第一項三号
裁判時 いずれも刑法六〇条、証券取引法一九八条の二、五〇条の三第一項三号
刑の変更 刑法六条、一〇条(いずれも軽い行為時法の刑による。)
商法違反の点
いずれも刑法六〇条(ただし、番号1ないし4については旧刑法六〇条)、商法四九七条一項
判示第二の別紙犯罪事実一覧表(二)番号1ないし25について
行為時 いずれも刑法六〇条、旧証券取引法一九九条一号の六、五〇条の三第一項三号
裁判時 いずれも刑法六〇条、証券取引法一九八条の二、五〇条の三第一項三号
刑の変更 刑法六条、一〇条(いずれも軽い行為時法の刑による。)
科刑上一罪の処理(判示第一の別紙犯罪事実一覧表(一)番号1ないし11について)
刑法五四条一項前段、一〇条(ただし、番号1ないし4については、旧刑法五四条一項前段、一〇条。いずれも重い証券取引法違反の罪の刑で処断)
刑種の選択 いずれも懲役刑を選択
併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い判示第一の別紙犯罪事実一覧表(一)番号7の罪の刑に加重)
刑の執行猶予 刑法二五条一項
三 被告人C
罰条
判示第一の別紙犯罪事実一覧表(一)番号1ないし11について
証券取引法違反の点
行為時 いずれも刑法六〇条(ただし、番号1ないし4については旧刑法六〇条)、旧証券取引法一九九条一号の六、五〇条の三第一項三号
裁判時 いずれも刑法六〇条、証券取引法一九八条の二、五〇条の三第一項三号
刑の変更 刑法六条、一〇条(いずれも軽い行為時法の刑による。)
商法違反の点
刑法六〇条(ただし、番号1ないし4については旧刑法六〇条)、商法四九七条一項
科刑上一罪の処理 刑法五四条一項前段、一〇条(ただし、判示第一別紙犯罪事実一覧表(一)番号1ないし4については、旧刑法五四条一項前段、一〇条。いずれも重い証券取引法違反の罪の刑で処断)
刑種の選択 いずれも懲役刑を選択
併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い別紙犯罪事実一覧表(一)番号7の罪の刑に加重)
刑の執行猶予 刑法二五条一項
四 被告人D
罰条
判示第一別紙犯罪事実一覧表(一)番号1ないし11について
証券取引法違反の点
行為時 いずれも刑法六〇条(ただし、番号1ないし4については旧刑法六〇条)、旧証券取引法一九九条一号の六、五〇条の三第一項三号
裁判時 いずれも刑法六〇条、証券取引法一九八条の二、五〇条の三第一項三号
刑の変更 刑法六条、一〇条(いずれも軽い行為時法の刑による。)
商法違反の点
いずれも刑法六〇条(ただし、番号1ないし4については旧刑法六〇条)、商法四九七条一項
科刑上一罪の処理 刑法五四条一項前段、一〇条(ただし、別紙犯罪事実一覧表(一)番号1ないし4については、旧刑法五四条一項前段、一〇条。いずれも重い証券取引法違反の罪の刑で処断)
刑種の選択 いずれも懲役刑を選択
併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い別紙犯罪事実一覧表(一)番号7の罪の刑に加重)
刑の執行猶予 刑法二五条一項
五 被告人B
罰条
判示第一別紙犯罪事実一覧表(一)番号1ないし11について
証券取引法違反の点
行為時 いずれも刑法六〇条(ただし、番号1ないし4については旧刑法六〇条)、旧証券取引法一九九条一号の六、五〇条の三第一項三号
裁判時 いずれも刑法六〇条、証券取引法一九八条の二、五〇条の三第一項三号
刑の変更 刑法六条、一〇条(いずれも軽い行為時法の刑による。)
商法違反の点
いずれも刑法六〇条(ただし、番号1ないし4については旧刑法六〇条)、商法四九七条一項
判示第二別紙犯罪事実一覧表(二)番号1ないし25について
行為時 刑法六〇条、旧証券取引法一九九条一号の六、五〇条の三第一項三号
裁判時 刑法六〇条、証券取引法一九八条の二、五〇条の三第一項三号
刑の変更 刑法六条、一〇条(いずれも軽い行為時法の刑による。)
科刑上一罪の処理(判示第一の別紙犯罪事実一覧表(一)番号1ないし11について)
刑法五四条一項前段、一〇条(ただし、番号1ないし4については、旧刑法五四条一項前段、一〇条。いずれも重い証券取引法違反の罪の刑で処断)
刑種の選択 いずれも懲役刑を選択
併合罪の処理 刑法四五条前段、四七条本文、一〇条(犯情の最も重い判示第一の別紙犯罪事実一覧表(一)番号7の罪の刑に加重)
刑の執行猶予 刑法二五条一項
(量刑の理由)
1 本件は、被告会社の代表取締役副社長である被告人Dら四名が、いわゆる総会屋であるEの株主の権利の行使に関し、被告会社株主総会の議事が円滑に終了するよう協力を得る謝礼の趣旨で、Eの有価証券取引等において生じた損失を補てんするため、いわゆる付け替えの手段を用いて、平成七年一月から同年一二月までの間、前後一一回にわたり,合計約一四〇〇円万円相当の財産上の利益を供与し(判示第一の犯行)、また、被告会社の専務取締役ないし代表取締役副社長であった被告人Bらが、被告会社の顧客である衆議院議員Fに対し、Fの有価証券取引において生じた利益に追加するため、前同様の方法により、平成七年一〇月から平成八年六月までの間、前後二五回にわたり、合計約二九〇〇万円相当の財産上の利益を供与した(判示第二の犯行)という事案である。
2 Eに対する判示第一の犯行について、その経緯を見ると以下のとおりである。
被告会社は、総会屋であるEに対し、かねてから賛助金の名目で利益を与えて懐柔してきたが、やがて、Eは被告会社を含む四大証券会社の株式をそれぞれ三〇万株を取得し、株主提案権を行使し得る立場となった。しかし、平成二年以降の株価低迷で経済的に行き詰まってきたEは、平成三年に右証券四社がいわゆる証券不祥事を起こしたことを奇貨として、株主提案権を背景に圧力をかけ、被告会社に資金の一任的運用を引き受けさせて、一層の利益供与を求めようと考え、平成四年、五年と、各年の株主総会前に、証券不祥事の責任を問うて役員等の解任を要求する内容の株主提案権を行使する旨の書面や質問状を送りつけた。これらは、いずれも、被告人CのEに対する働き掛けで撤回とはなったものの、その見返りとして、被告会社では社長や副社長の被告人DがEに面談し、一任取引による資金の運用を要求され、やむなくこれを受け入れた。ところが、一任取引で買い付けた東京電力株式が、その後値を下げ続け、平成六年七月には損切りで約八〇〇〇万円もの損失を生じるに至ったため、Eは、折に触れ、繰り返しその損失補てんを強く要求し、このままではEの機嫌を損ね、株主総会に悪影響を及ぼしかねないと心配した被告人らにおいて、その際付け替え等の不正な手段を使ってでも、Eに利益を供与しようとの考えの下に、本件犯行が行われたものである。
次に、Fに対する判示第二の犯行について、その経緯を見ると以下のとおりである。
被告会社の一部役員は、昭和五九年ころから、当時衆議院議員総選挙に立候補の準備を進めていたFの要求を受けて同人の株取引を一任的に行うなどして利益を提供していた。ところが、やがてFの新経営経済研究会名義口座に多額の損失が発生し、Fから付け替え等の方法による利益の提供を要求されるに至ったが、被告会社は既に証券取引法が改正され損失補てん等が禁止されたことからこれを受け付けなかったところ、Fは同口座から資金を引き上げたため、Fと日興証券の取引は中断した。平成七年になって、Fの依頼で、日興リサーチセンターの役員が仲介して、被告人BをFに引き合わせたが、Fは、自身が大蔵委員会の理事をしていること等大蔵省に対する影響力を誇示するような話をし、証券業界にも理解がある態度を示すなどした上、いずれ被告会社と有価証券取引を再開したいなどと話した。被告人Bは、Fの立場を見て、Fと良好な関係を築くことに魅力を感じたものの、Fの利益供与の要求は執拗との情報を得ていたこともあって、現在の相場の困難な状況を話して暗にその申し出を断った。しかし、その後も何度も接触を図られた上、平成七年一〇月に至って改めてFの訪問を受けた被告人Bは、Fから一任勘定で有価証券取引を行い、更に自己売買をしている被告人Aの立場を利用して付け替え等の方法により利益を提供するよう繰り返し強く要求され、これ以上その要求を断れば、被告人会社の業務に支障が生じるような動きをされかねないと懸念してこれを受け入れ、被告人Aに指示して、Fから求められるまま、G名義の借名口座を新橋支店に開いた上、本件犯行が行われたものである。
3 そこで、その犯情について見ると、Eに対する損失補てん等の犯行は、時機を見て株主提案権行使をちらつかせるなど、実質的には恫喝まがいのEの要求に対し、多数の事業法人の主幹事を務めている被告会社としては、株主総会が混乱した場合の信用失墜が極めて大きく、また、現に昭和五八年度の株主総会を関西の総会屋グループによって混乱させられ音を上げた経験を有していたこともあって、何としてでもこれを平穏に乗り切って大手証券会社としての自社の信用を維持しなければならないと考える余り、その要求を受け入れたものであるが、その結果、総会屋との癒着を図って証券業界全体に対する社会一般の信頼を失墜させたばかりでなく、株主総会の健全な運営を図り、会社財産の不正な流出を防いで株主の利益を保護するという昭和五六年の改正商法の趣旨に大きく背馳し、企業にはこびる総会屋の暗躍を助長することとなった。
また、Fに対する利益追加の犯行は、執拗な要求に屈したという面もあるが、基本的には、Fが自社の監督官庁である大蔵省出身の代議士で、大蔵委員会理事の立場にあり、大蔵省の職員らに影響力を持っていると考え、同人と友好的な関係を築いておけば情報収集等種々の点で得策であるとの思惑にも基づいてなされたものであって、その意味で、被告会社としては利得的な動機に出たものと言わざるを得ない。そして、その結果、本件では現職の代議士に対する利益追加であることから社会の耳目を集め、被告会社の不公正性を印象づけるとともに、政治家に対する不信感を募らせることとなった。
いずれも、動機に酌量の余地はなく、それぞれ指摘した結果を招いたこと自体、強い非難に値すると言うべきである。
4 更に、Eに対する利益供与の手段として行われた損失補てん及びFに対する利益追加についての証券取引法上の禁止・罰則規定は、平成三年に被告会社ら四大証券会社を含む多数の証券会社が大手企業等の大口投資家に対して損失補てん等を行った実態が明るみに出され、このような損失補てん等は、証券市場の自己責任の原則を放棄するもので、市場の価格形成機能を大きく歪め、一般投資家の不信感を助長し、証券取引市場の公正を害するものであるとして社会的に強い批判を浴びたことから、同年の法改正で新設されたものであるという経緯があるところ、被告会社は、右不祥事の際には役員を交代させたり、機構改革により内部監査体制を整備するなど外形的には右法改正の趣旨を尊重しようとの姿勢を示していたものの、実際には、代表取締役副社長であり、右機構改革で設けられた内部管理統括責任者であった被告人Dを始め、当時責任を問われ降格された被告人Bも含めて、被告会社の中枢にあった被告人らが本件各犯行を企図実行したものである。しかも、判示第一の犯行は平成七年のものではあるが、Eについては、前記のとおり、平成四年の株主総会前に株主提案権の行使を示唆され、質問状を送付されたことから、その後一任勘定取引やワラント落ちの社債の割付等の利益供与等種々の便宜を計ってきていたのであって、この時期が平成三年の証券不祥事から一年も経過しないときであることを併せ考えると、被告会社の改革は見せかけのもので、実態は、右法改正の後もその趣旨を遵守しようという意識を持たないまま漫然と旧来の悪弊を引き継ぎ、その延長線上で本件各犯行に及んだものと言うべきであって、その反省のない態度には度し難いものがあり、その病根は率直に言って相当深いと言わざるを得ない。本件においては、総会屋の跳梁を許す温床となり、あるいはまた、政治家の廉潔に対する不信感を助長した点もさることながら、このような不祥事を繰り返す被告会社さらには証券業界の体質こそが厳しく指弾されるべきである。国際化が一層進展する中で、きちんとしたルールに則り、公正で透明な運用が強く要請されているにもかかわらず、これを裏切り、証券市場に関わる一般投資家の不信感を大きく増幅し、海外投資家の我が国市場に対する評価にも極めて深刻な影響を与えたことを被告会社及び被告人らは改めて真摯に受け止めるべきである。
5 さらに、本件犯行の態様をみると、不正行為の痕跡を記録上残さないために、付け替えや一任勘定取引による売却を組み合わせた方法がとられ、更には借名口座を用いることにより一見しただけではEやFと取引していることすら分からないように仕組まれるなど、その手口が巧妙であるほか、各犯行が短期間に反復継続して行われたことや提供された利益が少なからぬ額に上っている点も量刑上軽視できないところである。
6 次に、各被告人の役割についてみると、被告人Aは、上司である被告人D、被告人Bの指示を受けたものとはいえ、被告会社の株式部長として、本件犯行全てにつき、相場の動向に関する情報を駆使しつつ、付け替えに係る株式の銘柄や数量等を選び、部下に対して具体的指示を出すという実行行為の中核を担当したものであり、被告人Bは、被告会社において株式部を含む商品部門を統括する専務取締役又は副社長の地位にあったにもかかわらず、本件犯行全てにつき、部下であるAに指示を与えたほか、Fと直接面談するなどして同人に対する犯行の最終決定をしたものである。また、被告人Dは、被告会社の副社長として内部統括責任者の重職にあり、社内における不正行為を率先して是正する立場にいながら、被告人Cの報告を受け、Eと直接面談するなどして同人に対する犯行の最終決定をしており、被告人Cは、前記商法改正以前から被告会社の総会屋対策担当者としてEと直接折衝する立場にあり、本件犯行については勿論のこと、その背景ともいえる被告会社とEとの長年にわたる癒着関係の構築に大きく寄与してきたものである。このように、各被告人の刑責には、その果たした役割や関与した犯行の数に応じて軽重の差があるものの、いずれも犯情は芳しくない。
7 しかしながら、本件は、前記のようにEの実質的に恫喝ともいうべき要求やFからの執拗な要求に起因していること、被告人らは個人的な動機で本件犯行に及んだものではなく、進むべき方向を誤ったものではあるが、会社組織に利あらんと考えての犯行であること、被告会社では、本件発覚後、本件に関与した被告人ら職員を懲戒するとともに、株主の権利保障に重点を置いた新たな内部管理体制を整備して同種事犯の再発防止に努めていること、いずれの被告人も、今回相当期間身柄の拘束を受けるとともに、本件の責任をとる形で被告会社を退職し、被告会社又はその子会社の嘱託社員になるなどして既に一定の社会的制裁を受けていること、これまで前科前歴もなく、真面目に働いて被告会社の発展に貢献してきたものであること、本件発覚後は、それぞれの知り得た範囲で、被告会社とE及びFとの過去の経緯を含めて事実関係を詳らかにして反省を表していることなど、被告会社及び被告人らに有利に斟酌すべき事情も存する。
8 そこで、以上の諸事情を総合勘案し、被告会社及び被告人らをそれぞれ主文掲記の刑に処することとする。
(検察官矢吹雄太郎、同福垣内進、被告会社の弁護人渡部喬一、同小林好則、同小林聡、被告人A及び被告人Bの弁護人志田至朗、被告人Cの弁護人大木丈史、被告人A及び被告人Dの弁護人神宮寿雄、被告人D及び被告人Bの弁護人五木田彬各出席)
(求刑 被告会社につき罰金一〇〇〇万円、被告人A及び被告人Bにつき懲役一年、被告人C及び被告人Dにつき懲役一〇月)
(裁判長裁判官 中山隆夫 裁判官 政木道夫 裁判官 木野綾子)